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院長紹介

院長 柴垣 有世(しばがき ありとし)

明治東洋医学院 柔整科卒業
柔道整復師(国家資格)

まさか!自分が患者に?

2011年12月26日。
その夜、僕は病院のベッドの上にいました。
バイクで通勤していた僕は、帰り道でハンドル操作を誤り転倒。
右足の骨折と左肩の脱臼という大怪我をしてしまったのです。
家族には心配をかけるし、次の日以降の予約を入れてくださっていた患者さん方にも大変なご迷惑をおかけしました。
そこから、2週間。
お正月も病院で過ごすはめになってしまったのです。

ただ、そんな中でも1つだけ良いことがありました。
自分が患者になって、オステオパシーで自分の治療ができたことです。

手術の翌日には、全荷重による立位でのリハビリを開始。
通常この状態になるには、3週間の時間が必要とのことでした。
痛くて眠れなかったため、自分でずっと治療していたのが功を奏しました。
膝の状態が良かったため、ドクターの判断でリハビリの許可がおりました。

そして、通常、4~7週間の入院が必要な所、年末にもかかわらずお見舞いに来てくれた友達のオステオパスの治療と自己治療の成果で、半分以下の2週間で退院。松葉杖をついて自力で歩いて退院できるまでに回復しました。

やっぱり、オステオパシーは本物だ。
これを続けていくことは、患者さんの役にもたつし、社会の役に立つ、という思いを再確認できた瞬間でした。

僕がオステオパシーを始めた理由

二十歳の頃、僕は広告の制作会社でコピーライターという仕事をしていました。
毎晩終電まで仕事に邁進し、身も心もボロボロな状態。先輩たちは、更にハードワークで、ほぼ毎日会社に寝泊まりしている状態です。
「ああ、このまま忙しくなり続けて、会社に暮らすようになってしまうんだろうか?」。
「毎日、毎日、満員の通勤電車に揺られ、30年もサラリーマンとして過ごすのか」と、暗澹たる気持ちで日々を過ごしていました。

そんな時、本屋さんで1冊の本を見つけました。
「整体師になる」とかそんな本だったと思います。
資格も特に必要ないし、短期間のスクールに通えば即開業できるというところが魅力的でした。
「技術があれば、後は開業さえすればなんとかなる」。
そう思っていました。

ダマサれたのか?

そこで、その本を頼りに働きながら学校にかよって技術を学べるところがないか、インターネットで調べました。

首尾よく見つかったスクールに入学。
技術を学んで開業し、順風満帆の未来が待っているはずでした…。

が、そこは、ネットワークビジネスを行いながら学ぶところだったのです。

セミナーでその気になってしまった僕は、あれよあれよというまに120万円もの高額商品を仕入れ、先生の治療院でその高額の商品を販売する羽目になってしまいました。
そういった商品が簡単に売れるはずもなく、営業成績の上がらない僕は、次第に落ちこぼれて行きました。

そして、ついには学校にも行かなくなり、後には仕入れた商品の在庫の山が残りました。

失意、その後。

それでも治療家としての仕事を諦めきれなかった僕は、マッサージ店で働き始めました。
しかし、その店はあくまでマッサージ店で、整体が出来る環境にはなく、またしても悶々とした日々を過ごすことになりました。

そんな僕を見かねて、店長が
「柔道整復師の資格をとったらええんちゃうか?」
と、言ってくれたのです。
その時は、
「そんなん無理ですよ~。3年も学校行かなあかんし、第一そんな学費もありませんし。歳も歳ですし」
といって取り合わなかったのです。折しも世間はコンピュータの2000年問題に揺れる12月。26歳の冬でした。

そうは言ったものの、国家資格を取るということが頭から離れず、アルバイト情報誌で、接骨院や整骨院での仕事が無いか探し始め、その中から通えそうな所を選んで、面接に行きました。
とても感じのよい院長先生で、熱心に僕の話を聞いてくれて、
「いつから来れるんや?」
といってくれたのです。
「ああ、これでやっと治療家としての仕事ができる」
と、とても嬉しかったのを今でも覚えています。

念願の治療家修行スタート

翌2001年1月5日。
21世紀が始まったその年から、接骨院でバイトをしながら国家資格を取るために働き始めました。

先輩方もとても優しく、丁寧に色々と教えて下さり、順調に仕事を覚えて行きました。今までの生活が嘘のように一変したのです。
そこは、とても患者さんの多い接骨院で、毎日、毎日クタクタになるまで働きました。
ですが、いつも同じ顔ぶれなのです。毎日同じように電気を当て、症状のある場所にマッサージを繰り返す日々。仕事自体はとても楽しく、昔の色々な話や言葉が聞けて、多くの学びもありました。しかし、みんな良くならないのです。自分なりに工夫し、色々とやってみましたがあまり効果は上がらず、試行錯誤の日々ばかりが続きました。これはおかしい。何かが違う。そう思っていました。

そしてたどり着いたのが、オステオパシーでした。今までの考え方とは全く違った概念と方法による治療。
その治療が学べるところがないか、と探しまわった結果、オステオパシースクールに出会ったのです。
ちょうどその頃、オステオパシーをスクール形式で教える準備をしているところでした。
そのスクールの説明会で、集まった人にオステオパシーによるデモンストレーションが行われ、今まで見たことのない素晴らしい効果に驚愕しました。

「オステオパシーなら僕の理想を実現できる」そう思いました。
ただ、当時は、まだ柔道整復師を取るための専門学校に通っている最中でした。
仕事と学校の掛け持ちでかなりハードな毎日でしたので、その上オステオパシーのスクールも、となると、体力的にも金銭的にもとても無理だなと思っていました。

しかし、どうしても諦めきれない自分がいました。
そこで、なんとかお金を工面し、専門学校の2年生のときからオステオパシースクールにも通うことにしたのです。
スクールは2年制で、専門学校の卒業と同時にオステオパシーのスクールも終わるという目論見があったからです。ここから、仕事、学校、スクールという3重生活がはじまりました。

このスクールが実に大変で、週に1回だけなのですが、毎週テストが出され、そのテストの結果いかんでは、後期の実技の授業が受けられないというかなり厳しいものでした。

このテストに精力を傾けるあまり、専門学校のテストが疎かになり、再テストを受けるはめになってしまったこともありました。

開業、そして新たな出会い

2008年4月ついに念願の開業。32歳の春でした。
オステオパシーを学ぶうち、海外の先生にオステオパシーを学ぶ機会がありました。
中でも、フランスのポールショフールD.O.が提唱する「メカニカルリンク」というセミナーを受けた時、衝撃を受けました。
そのセミナーで語られる内容は、当時の僕の考えを一変させる画期的な方法でした。
そこから、この「メカニカルリンク」にのめり込み、日本で行われたすべてのセミナーに出席し、日々の臨床の中で実践していきました。

これからの整骨院KU

今後は、整骨院KUに訪れる患者さんが、苦痛なく自由な人生を満喫できるよう活動して行きたいと思っています。

神戸元町整骨院KU

〒650-0011
神戸市中央区下山手通4-1-17 丸中ビル203

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