整体とオステオパシー。
いったい何がどう違い、何が通じているのでしょうか?
整体について
古いものは、約850年ほど前からあるようですが、ほとんどの整体は、明治以降に作られたものが多いようです。
有名なところですと、野口整体、山田式整体術などがそれに当たります。
古い整体は、武術の中の「活法」と呼ばれる蘇生術が起源となっており、一子相伝、口伝により伝えられていて、現存するものが少なくなってきているようです。
近代の整体
明治以降に作られた整体は、そういった様々な流派の武術にある「活法」を集め編集し、作り上げられたものが多いようです。
特に、野口整体は、オステオパシーについて大変研究し、その多くをオステオパシーから取り入れたとされています。
日本におけるオステオパシー
オステオパシーは、もともとアメリカで1874年に医師であるA.T.スティルが発表しました。
日本には、現存する史料によると、明治37年ごろ新渡戸稲造により伝えられたことが分かっています。
オステオパシーが発表されてからわずか30年あまりで既に日本に入ってきていたことは、驚きです。しかも、創始者であるスティルの教え子が直接日本に訪れて施術していたようなので、この頃にはかなり正確なオステオパシーが伝わっていたことになります。
その後、その効果に日本の療術家たちも取り入れ始めます。なかでも大正時代に山田式整体術は、オステオパシーの教本をアメリカから取り寄せて翻訳させ、熱心に研究し「整体術」として広めていきました。
ここに、オステオパシーと整体の接点が見られるわけです。
オステオパシー=整体
山田式整体術が広まっていった当時は、オステオパシー=整体と見られていたようですが、だんだんオステオパシーが忘れられて、現在のようにマイナーな施術法になってしまいました。
その原因は、なんといってもオステオパシー自体の分かりにくさにあると思います。
私自身「オステオパシーってなに」って聴かれると、いまだにうまく答えられません。
当時の人も伝えるのにとても苦労されたのだと思います。
オステオパシーの史料
上記のオステオパシーの史料に関しては、一部ネットでご覧いただくことが可能です。ご興味のある方は一度ご覧になってください。
近代デジタルライブラリーで「オステオパシー」で検索。
「1. 催眠術治療法 / 古屋鉄石著,大日本催眠術協会, 明40.5」という史料の48ページ目からがオステオパシーに関する記事となっております。